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コロナ禍中、「おうち時間」でドレスアップ [カスタマイズ]

2021/07
 本稿執筆時(9月)、政府関係機関ではコロナ感染者のピークアウトに鑑み、
出口戦略が検討されているようだ。先が見えてきたようで喜ばしいことではあるが、
そうなると今度は、国民の間に気の緩みが蔓延するんだよなあ。みんなもう懲りただろう、
少しは気を付けるかな?
 近い将来、晴れて出発できるであろうロンツーを夢見て、
       「おうち時間」にF700GSをドレスアップしました。

以前のヘッドライト、昼行灯みたいにボーッとしていましたね。
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LEDヘッドライト。中華製で当たり外れは覚悟の上で、安かったので思い切って購入しました。
トンネル内でも抜群に明るい。大当たり!
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Before↑ after↓
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DSC_0338のコピー.jpg
メッキのブルーミラー、レッドのクラッチ/ブレーキレバー。引き締まりますねえ。
自己満足ですか?
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新平家物語の舞台を訪ねる②(義経逃避行) [ツーリング]

 義経もさることながら、特に弁慶の切歯扼腕を我が意とし、せめてその現場に身を置き想いを
寄せてみたい。今回は長い旅になるが、よしッ、行くぞーッ!

2020/09/28
 AM:5.00出発。毎度おなじみケチケチ旅。名神京都東から湖西道路を経て、敦賀から北陸道。
安宅で降りると「安宅の関」はすぐだった。
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『勧進帳』の舞台に想いを馳せ、弁慶の大活躍に耽っていると、頭上にいきなり轟音。あ、F-15
と思って仰け反った瞬間、機体は遥か日本海沖の上空。頼もしいなあ。弁慶さん、ゴメンなさい。
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 おっと、F-15に見とれている訳にはいかない。「倶利伽羅古戦場」へ先を急ごう。
小松ICから再び北陸道で北上。金沢を過ぎて小矢部ICで降りた。私も少し腹が減っていたが、
バイクが「腹減ってもう限界。飯食わせなんだらもう動かへんでえ」と空腹を訴えものだから、
満腹にまるまで食わせてやった。
 ここには義経北行途中でちょっと供養のために立ち寄ったと言うだけだが、木曾義仲が平家軍に
大勝利を収め京都から平家を追い出したと言う「倶利伽羅の合戦」の古戦場だけに、
避けて通る訳にはいかない。
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えっ!ここからあの山の中に?富山県には以前有峰林道を走った折に、熊に遭遇して肝を冷やした
ことがあって、そのことがトラウマになっている。人も車も通らない坂道を進むうちに、
道の両側が丈の高い熊笹で鬱蒼としてきた。げっ!正に熊が出る条件が揃ってるやん。
一気に突っ走って進みたかったが、ヘアピンカーブの連続で年寄りライダーには
スピード出すのが怖かった。
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 途中、巴御前と葵御前に会ってみたかったが、こんなところで道草していると熊に食われる、
急げーッ!
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 なんとか頂上付近にたどり着いた。周辺は熊の恐怖もさることながら鬱蒼としていて誰もいない。
古戦場跡の霊気が漂い、周囲の見下ろす谷あいからは、阿鼻叫喚の悲鳴と雄叫びが聞こえてくる
ようだ。そこに佇んで想いを馳せていると、生首をぶら下げた満身創痍の足軽が、今にも、
道脇の藪から息も絶え絶えに這い出て来るようで戦慄を感じる。
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 ここを木曽義仲の本陣として、この石台で軍議を開いたと言う。
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 さあ次は「念珠の関」だ。そこは新潟と山形の県境なので、これからできるだけ近くまで北上して
投宿。さてどこまで行けるか。がんばって、新発田まで行こう!新発田のルートインHを即予約。
 出発!8合線で黒部まで、そこからまた北陸道。この後はひたすら走るだけ。平均100km/h
くらいで走るのがいちばん疲れなくていいが、ずっと120km/hで走ったので、疲れた。
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2日目、ホテル出発。
 「念珠ケ関」に向かうが、新潟県自慢の景勝地「笹川流れ」。何度も来ているが、通り道だし、
避けて通れない。
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 新潟と山形の県境にある「念珠ケ関」に到着。え、ここ?民家の庭じゃないの?入っていいの?
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 次は、山形県に入り少しだけ北上して、日本海から太平洋側へ向かいます。列島横断ですな。
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 鶴岡市→新庄市→栗原市と奥羽山脈を越えて東進コース。今でこそ立派な幹線道路があって
車が走っているけど、マタギでも奥羽山脈を越えようとは思わんでしょう。
冬季なんか想像を絶するような雪深い山でしょうに。逆に、人の目を避けると言うことでは、
安心して歩を進めることができたんでしょうね。
 こんな感慨に耽りながら駆っていたが、「えっ、燃料無いやん」と気付いた。こんな山の中に
ガソリンスタンドなんかある訳ないやん。それに、次の市街地までたどりつけなかったら、
宿どうする。急に焦りだして、バイクを停めて地図を開いてみると、この先に鳴子温泉があった。
もうここに行くしかない。
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駅の観光案内所で格安宿を紹介してもらった。フロントで、「Gotoトラベル使いますか?」
「え?予約していいけど、いいんですか?」
思いがけなく宿代半額、おまけに地域クーポン券まで戴きました。ラッキー!
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農家が点在する畑の中に「栗原寺」がポツンと。歴史沿革については下記看板をご覧ください。
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いよいよ、義経終焉の地へ。
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終焉の地と言いながら、ここから先の伝説が想像を膨らませる。かと言って津軽海峡を渡り、
遥かモンゴルの大草原まで行く勇気もない。後は景勝地を巡りながら帰路に着くとしよう。
花巻→釜石→宮古のルートインH投宿。翌日、どんよりした浄土ヶ平。
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久慈→八戸→十和田ルートインH投宿。
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十和田湖、奥入瀬、八甲田山かけあし周遊。
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さあ、一気に走るぞ!東北道に乗って、アクセル全開。6寺ころ仙台のルートインH到着。
ああしんど。次の日もすぐ東北道で南下。ふぐすまで降りて、浄土が平に行くべした。
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おお、怖ッ!
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また東北道に乗って、宇都宮の鹿沼ICルートインH投宿。ここから下道。日光を経て沼田の
「吹割の滝」へ。ちょっと水量が少なかったかな。
 大勢の観光客を見下ろす巨石の上で、東南アジアの人でしょうか、ビールとスナックで鳩首会談。
南シナ海の安全保障問題を語り合っているのでしょうか。
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ここから先は、以下省略。さあ、帰ろうっと。ツーリングMapをじっくりとご覧ください。
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新平家物語の舞台を訪ねる①(屋島合戦場) [ツーリング]

 コロナ禍中にあって、思うように動きがとれずストレスが溜まりまくり。
孤高のソロツアラー(自称)として山野郊外を疾駆するだけなら、ツーリングに出かけても
許されるかなあ?と思うが、コロナ警察の目が気になって踏み出せない。
 そんな中、「おうち時間」で、吉川英治著『新平家物語』を読み耽るうちに、
鞍馬山から義経終焉の地まで、その舞台を訪ねてみたくなった。
 ライダー諸兄はどうしてんのやろ?とツーリング ブログを観てみると、
「なーんや、皆んなけっこう走ってるやん」と踏ん切りがついた。
よしッ、行くぞーッ!

2020/09/15
 『新平家物語』の舞台を時系列に巡るのは厳しい。とりあえず「屋島」をロックオンしました。
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 いつものロンツーに比べたら、神戸から高松なんか、宇高フェリーに乗ったらすぐやん。
 ちょっとそこまでサンダル履きでお散歩ってな感じでゆっくり出かけた。
 高速料金節約のため下道で、国道2号戦から岡山ブルーライン経由で宇野港着。
広大な車両待機場には一台もいない。たとえフェリーが出航した直後であっても、
会社関係の車両を含め数台はいるのが常で、異様な光景に辺りを見回していると、
「何か?」と一人近づいてきた。「高松に行きたいんですけど」と言うと
「ああ、もう宇高航路は廃止されました」。ヤバイよ出川じゃないけど「ガックシ!」
 その人に教えてもらって、上記Mapのように、すぐ目の前の高松港に行くのに、
途中の直島経由で行くことを余儀なくされた。たしか宇野港を出航したのが午後2時代だった
と思うが、直島で3時間以上待たされて、屋島近くのホテルに着いた時には
どっぷりと日も暮れていた。
翌日、ホテルから目の前の屋島台地に登る。
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ワインディングロードからは、途中古戦場を見渡す場所がある。義経勢のまさかの奇襲に
平家軍の大混乱。ここから平家の敗走が始まる。絵巻物語が脳裡に広がります。
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 帰路は、穏やかな瀬戸内海を左手に眺めながら、ゆっくりと下道で神戸を目指す。
鳴門海峡の道の駅で海の幸で舌鼓とわくわくしながらたどり着くと、
「ガックシ!」クソ、コロナめ!
 久しぶりのツーリングで、気分爽快。
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